ありがとう!! 東淀川駅旧駅舎(ToT)
先週の11月11日(日)より、いよいよ東淀川駅の新しい人生が始まりました。
駅を挟んで、南北両側にある2か所の踏切を廃止し、自由通路を備えた橋上駅舎化されたとのことです。
ということは、昭和15年の開業当初からのものと言われている、良い意味ではアンティークな、悪い意味ではバリアフルな旧駅舎ともこれでお別れです
ちなみに、東淀川駅とは、大阪市淀川区にある東海道本線の駅になりますよ
さてさて、僕とこの駅の思い出なんですが…
生まれてから12歳まで、ここに住んでおりました。今はなき、東淀川駅前団地にです
たかだか12年、されど12年と言うなかれ。
幼少期から、多感な時期にかけての12年でしたので、僕の人生において、ものすごぉ~~く影響が大きかったんです。
当たり前ですが、生まれてから50年近くにもなれば、街も人もどんどん変わっていくものです。卒園した東淀川保育所は団地とともに消え、母と買い物に行ったケーキ屋さんボンヌール、蒲田市場や淀川市場もなくなり、道路は広げられ、神崎川は水がキレイになっており、たまにこの地を訪れるたび、自分を作り上げてくれたものが、無くなっていく寂しさを感じておりました。
しかしそんななか、ひっそりと昔のたたずまいを今に残していたのが、東淀川駅でした。この駅に来れば、懐かしさだけではなく、今の自分への叱咤激励を受けることができたんです。
なので、新駅舎になって便利になることは喜ばしいのですが、またひとつ、自分を形作ったものが消えてしまうんだ…
と、感傷的な気持ちになってしまっているのも、正直なところですね
それでは、いろいろ撮ってあった東淀川駅の写真たちで、せめても記憶にとどめておくようにいたしましょうか
この「東淀川駅」の駅名板は、JRになってもずっと変わらずでした
(2018年7月8日)
父に、ムリヤリ
記念写真を撮らせたことも
(2016年8月16日)
改札からホームへは、この暗くて狭い階段を昇り降りします。 (2018年7月8日)
左側は、開かずの踏切を渡らずに通行できるよう、自由通路になっていました。昔はよく、この柵を乗り越え…てなんかいませんよ
(2018年7月8日)
案内板は新しくなっても、この「公団住宅」の表記はそのままでしたね。駅前団地は、アーベイン東三国として建て替わったので、間違いではないのですが…
(2018年7月8日)
チラッと見えている踏切が、今回廃止される踏切のひとつ、北宮原第一・第二踏切です。
(2018年7月8日)
子どもの頃、ここでよく電車を見ていたのですが、踏切警手さんにオガタさんという方がいたんです。その方が、いろいろお話などしてくださって、とても楽しかったのを覚えています。ね、だまやんさん (↑その節はお仕事中にスミマセンでした
)
第一踏切と第二踏切の間にある待避所から見えるこの光景も見納め。 (2008年3月22日)
駅の南側にある、南宮原踏切はコチラ。北側と違って待避所はないので、踏切を渡るのもなかなか命がけ
(2008年3月22日)
下り外側線の右側にあるスペースは、旅客化された城東貨物線の新大阪乗入用に確保されていました。いよいよ、その念願が来年に叶いますね
(2012年11月25日)
とまあ、さざっと振り返ってみましたが、余計に悲しみが倍増したかも
人に歴史あり、駅にも歴史あり…ホントにありがとうございました
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